2011年 06月 23日
地名考 澄みきった空に、ノスリが大きな輪を悠然と描いています。せわしなく羽ばたくカラスと違って風に乗り、優雅で、なぜか心が和みます。棚田の土手に寝転んで見上げていると、眠たくなるほどのんびりとして、世間のめまぐるしさが別世界のように思えてきます。 この棚田は名古木という集落のはずれにあります。普通に読めば「なごき」ですが、これを「ながぬき」と読ませます。慣れるまで少しの時間が必要で、つい「な ごき」と口にして、地元のお年寄りに「ながぬきだ」と叱られたものです。地名はそこに暮らす人にとって心のよりどころです。 調べてみると徳川幕府が天保十二年に完成させた『新編相模国風土記稿』には奈古乃機牟良とあり、元を正せば「なごのきむら」、意味的には風土が示す和む処だったようです。 それが、どうした訳か「ながぬきむら」に変わり、漢字が当てはめられて名古木になってしまい、せっかくの「なごむ」からきた地名が、意味不明になってしまいました。それでも慣れると愛着がわいて来ます。お年寄りがいちいち訂正するのも無理からぬ事です。 奈良や京の都から北へ向かう旅人は古くは、今の東海道のように海沿いでなく、山すそを歩いたようです。丹沢の麓の秦野盆地に入った北への旅人は、水のない川 を渡った養老屋敷で一休みをしました。 そこで「蘇」を食します。蘇は牛乳から作った乳製品、古代チーズです。蘇を作っていた家があったところが曽屋という 地名になりました。乳牛を飼っていたところの地名が乳牛(ちゅうし)です。「上手かった」と言いながら歩く道が醍醐道です。実に端的に集落を表していま す。ところが曽屋は残りましたが他の地名は、住居表示で消え、 本町や文京町、幸町に変わってしまいました。田舎じみた地名を恥ずかしいと思い、 本町や幸町 の方が格好良いと考えたのかもしれません。 地名は過去から未来へ受け継ぐべき文化遺産です。その時の人の都合で歴史的根拠がない地名に変えるのは風土、文化への冒涜です。 平成の大合併でも同じ轍を踏んだ自治体が多かったようです。名古木のお年寄だったら怒りを爆発させたかもしれません。 にほんブログ村
by okasusumu
| 2011-06-23 12:39
| 里山逍遥
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アバウト
梅、桜。桃の木の花の饗宴が終わると待っていたように凍土だった大地が芽吹きだす。数年前、雑草の中に数本あった花だが、背の高い草を採ると、増えだした。今やルピナスの丘だ。下の田に水が入る頃は美しい。 by okasusumu カテゴリ
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