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信州かくれ里 伊那山荘

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2011年 06月 15日

里山の危機

萌芽できないほど歳をとった里山の木々
里山に人手が入らなくなったのは、昭和三十年代でした。
遊び場所だった神社の裏山、小高い丘を越えたところに表丹沢を水源とする葛葉川が流れています。中学生だった私は、夏休みともなれば終日、そこで虫そして魚を追い回していました。小高い丘は頂上に「金毘羅宮」という小さな社があり、南斜面は桑畑、川に下るなだらかな斜面は明るい雑木林でした。ひときわ太い、 山の親父を思わせる太いケヤキが坂の途中に立っていて、その木肌には、そこで遊んだ悪餓鬼たちの歴史が小刀で刻まれていました。相合傘のマークや、例の WXYのいたずら書き、「○○が好き」といった告白など他愛のないものでしたが他人の心の中を覗くようで、その木の前を通るときは不思議と胸を高鳴らせた ものでした。
 ある時、その木々が切り倒され、林は丸裸にされてしまいました。ケヤキの親父も例外ではありません。そして、杉の苗木が植えられました。
 後に燃料革命と呼ばれる変革期、薪炭の生産現場の変遷を見ていたのですが中学生の私には社会がどのように変化していくのかなど分かりようがありません。時代は戦後の混乱期を抜け出し、復興期に入っていました。
 それまで、一般家庭の燃料は山の木々から作る薪や炭でした。それが石油、プロパンガスに代わります。石油は薪や炭と比較にならないほど使い勝手の良いものでしたので、台所の燃料は、革命と呼ばれるのがふさわしいほど急激に変わりました。
 薪や炭の原料は里山のクヌギやコナラなどです。これらが燃料として使われなくなると、生産地であった里山は不用になり、収入に結びつかない生産現場は農家に 見捨てられ放置されました。あるいは、クヌギやコナラは見限られ、当時「高く売れる」と評判のヒノキやスギに替えられたのです。
 薪や炭になる木は萌芽更新といって切り株から芽を出し、植えなくとも再生します。この再生の力は歳をとれば衰えます。放置された事で、以前は二十年以内に切って更新していましたが切らなくなって半世紀、木々は太くなり、歳をとってしまいました。

by okasusumu | 2011-06-15 09:52 | 里山逍遥


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