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信州かくれ里 伊那山荘

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2011年 06月 03日

丹沢から伊那谷へ

里山生態系の一員
昔から里山を守り、森を守り、水そして大地を守ってきたのは農作業に従事した人たちでした。
何らかの事情により、耕作できなくなると、荒れ始めることは当然です。
荒れ地となって、美しさが消えた景観を見て始めて、農家の作業の多くが、公益的だったことを、思い知らされました。彼らの営みは景観を美しく保ち、生物多様性そして地球環境の保全、結果として災害防止また水源涵養につながっていたのです。
営みの変化は、社会の変化によるものでした。
戦後まもなくの、食糧難の頃は農業が輝きました。見渡す限りの野は、隈なく耕され、谷戸深く棚田が築かれ、美しく管理されていました。
経済の合理性が追求され工業化が進むと農業に変化が生じます。
丹沢の山麓は、東京、横浜の通勤圏という地理的条件から裾野に住宅地が広がり、工場がやって来て、ゴルフ場が造成され、里山は切り開かれました。高度経済成長期のことです。何によりも経済が優先されました。
そして、工業化は農業者の多くを勤め人に変えました。勤めに出たほうが、収入が良かったのです。
勤めに出ても、何とか農業が継続できたのは、機械化と化学肥料・農薬そして大きな家族でした。共同で集落の作業をする地域性もまだ残っていました。
それから四十年が過ぎ、兼業で頑張ってきた人も、農業がしたくとも体が思うに任せない高齢となってしまいました。
その人の子は、最初からサラリーマンの子です。耕作放棄地は増え続けます。
自然塾丹沢ドン会も初めは、丹沢や里山の現況や問題点を市民に知らせ、共に考えるシンポジウムなどを開いていました。しかし、スローガンを叫ぶだけで農地が復活するわけでも、調査研究活動をするだけで景観が蘇るわけでもありません。
農家の人たちは、里山の生態系の一員でした。
その一員が欠けたことで生態系に狂いが生じたのですから、自分たちが、農家の人たちと同じように里山生態系の一員になれば良いと考えました。休日だけの対応ですが、足らない分は数でこなそうという発想です。

by okasusumu | 2011-06-03 10:15 | 里山逍遥


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