2011年 06月 01日
「丹沢自然塾」でボランティア体験談を語った木谷正道さんは話を終えるとギターを爪弾きながら 「ウサギ追いしかの山‥」 と歌い始めました。 木谷さんが勧めた事もあって歌の輪は直ぐに会場に広がり、初めのうちは小さく遠慮がちだった参加者の声も次第に大きくなっていきます。 歌う人たちの、心に描く光景は、日本人の多くが原風景として捉えている郷愁の故郷かもしれません。山があり、川があり、子供の頃の遊びの場であり、美しいままの自然、そして明るい農村です。 この多くの人が心に描くふるさと、美しい農村景観が代わり始めています。理由は簡単、生活が変わったからです。景色を「見る」ではなく、「読む」という人がいます。景色はその土地の「文化や風土を映し出しているから」だそうです。美しい農村は農家の日常の営みにより作られました。農家の営みの変化とともに農村景観は変わりました。 「おじいさんは山にしば刈りに‥」 と子供に昔話を読み聞か せる母親の多くは「しば」を知りません。 「どうして山に芝刈りに行ったの」と子供に聞かれて「ゴルフに行ったのよ」と答えた母親がいると聞いたことがあります。 「しば」は、芝ではなく柴で、柴は「山に生える低木」と辞書にあります。 おじいさんは、この柴など山で採ってきた木々を使って飯を炊き、風呂を沸かし、そして暖をとりました。里山は生活の必需品である薪や炭の燃料、そして草や落ち葉など肥料の大切な生産地だったのです。里山がなければ農業は出来ません。絶えず人の手が入り、荒れる余地はありません。 ところが人は地球の奥深くに眠っていた石油やガスを掘り起こしました。 それらは今までの燃料と違って火は付けやすく、煙が出ません。間違いなく便利でした。台所で使う燃料は瞬く間に変わっしまいました。 得ることは、失うこと事なのでしょうか。便利さを得ることで、失ったものは多くあります。その一つが故郷の美しい景観であり、それまでの生態系であり、生物の多様性でした
by okasusumu
| 2011-06-01 13:51
| 里山逍遥
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アバウト
梅、桜。桃の木の花の饗宴が終わると待っていたように凍土だった大地が芽吹きだす。数年前、雑草の中に数本あった花だが、背の高い草を採ると、増えだした。今やルピナスの丘だ。下の田に水が入る頃は美しい。 by okasusumu カテゴリ
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