信州かくれ里 伊那山荘

donkai.exblog.jp
ブログトップ

<   2011年 07月 ( 34 )   > この月の画像一覧


2011年 07月 28日

旧開智学校(松本)

旧開智学校(松本)
山荘から高速道路を使って一時間たらず、松本城の近くにある。
f0067937_13582481.jpgf0067937_1359047.jpg
これがなぜ重文と思ったが、日本で最も古い小学校のひとつで納得。
概要 (Wikipedia)
 1873年(明治6年)に第二大学区筑摩県管下 第一中学区 第一番小学 開智学校 として開校。1965年(昭和40年)からは明治時代の教育資料を展示した博物館になっており、当時使われていた机(二人掛けで、天板が開く)や筆記用具(チョークと黒板消し)などが展示してある。もとは廃仏毀釈で廃寺となった松本藩主戸田氏の菩提寺・全久院の跡地に開校し、女鳥羽川南岸に移ったが、昭和期に使われなくなると信州大学付属病院跡地であった現在の場所に移築された。国の重要文化財に指定されている。
 1987年に愛媛県東宇和郡宇和町(現・西予市)の開明学校の姉妹館と提携している。

沿革 松本藩校崇教館の流れを汲む。また当校内に中学水準に相当する課程として設置された英学課は、旧制松本中学・長野県松本深志高等学校の祖となった。

建築
 旧開智学校は明治時代の代表的な擬洋風建築で、日本瓦葺きの木造2階建て、外壁は漆喰塗である。校舎は白を基調としており、中央に塔があり、その下に彫刻がある。地元出身で東京で西洋建築を学んだ大工棟梁の立石清重により作られた。東京の開成学校と東京医学校を参考に作られたと言われる。

現存する部分は移築されたもので、当時は西側に同じく2階建ての教室棟が存在した。現存する校舎とつながっていたが、移設の際取り壊された。資料館として修復される際に塔を中心に左右対称であるかのように復元されたが、その名残もあり実は左右対称にはなっていない(窓の数を数えると明白である)。
[PR]

by okasusumu | 2011-07-28 13:54 | 山荘周辺の文化財
2011年 07月 28日

風呂と水処理

風呂と水処理
 築100年の古い農家のこと風呂は外にあった。いつの頃かその風呂は取り壊され、今の玄関に焚口のような跡、軒に煙突を通した穴が残るだけである。
移転登記の日、前所有者の岡谷の酒屋さんに「風呂はどうしていたのか」と尋ねると、そばにいた不動産屋が、「近くに仙流荘があるもの、たまに来るだけなら、そちらの方がよほど良いや」と言い酒屋さんも同調していた。
 仙流荘は温泉ではないが、広々としてきれいで、桜やゴールデンウィーク以外は混むことはない。不動産屋の言葉に「それで良いか」と思ったものの、あればあった方が良い。そして、今井棟梁と高井1級建築士のコンビによる風呂築造が始まった。
 
 二人に任せておけば、想像以上の風呂場が完成することは間違いない。
 山荘主人、それではと思い立ったのが土壌浄化法の原理による排水処理である。
二人によってステンレス製の風呂桶と集水桝が設置された日の次の週、山荘主人は3日間、黙々と鍬とスコップを使い、土を掘り起こし、細工した管を埋める作業に精出した。
処理するのは風呂の水という安心感もあり、頭の中にある理論とは裏腹のいい加減さが土木作業に出ながらも埋め戻して完成。
 通常ならこれで大丈夫なはず大雨の日には効果を発揮するかどうかはやって見なければ分からない。
 我が理屈は次のとおりである。

土壌浄化法の原理と効果
 生ゴミを土に埋ると肥料になること、そしてゴミそのものが消えていることはよく知られた事実である。この自然の土壌生態系がもつ独特の機能を、水処理のシステムのなかに意識的に利用する方法が山荘の風呂排水の処理法。いわゆる土壌浄化法で、いわば山に降った雨が地下に浸透し、蓄えられ浄化されて流れ出る自然界の水の動きの再現である。
 動植物と自然の作用によって形成される土壌は、空間的構成として、固層、液層、気層の3層からなる。
 土壌の主体となる固層の土粒子は、粒径によって礫、砂、シルト、粘土に区分され、固層の表面と液層、気層で占められる空間は、土の間隙率として表される。この間隙率は、水文学の教科書によれば土粒子の粒径、粒子が相互に結合した団粒構造、締固めや圧密の程度によって約26%~73%と幅広い。
 土壌の浄化作用は汚水が土中を浸透(流動)する過程で行われる。したがって、適当な浸透条件を与えないと期待どおりの効果が得られない。 土壌微生物による有機成分の分解は、土壌間隙に空気(酸素)が供給されるときに効率的に行われるという特徴があり、土壌の三相を適度にバランスさせることが要求されるはずである。
これらのメカニズムを理解して、装置作りである。
土壌浄化の仕組みは、主として土壌粒子がフィルターの役割を担うろ過(物理的作用)、土壌中の粘土鉱物や腐植が吸着材の役割を果たすことによる吸着(化学的作用)、土壌に生息する生物の活動による生物分解(生物的作用)で、
土粒子間隙を汚水が通過する際に土壌粒子表面に様々な無機物、有機物が保持されることになる。
これを土壌微生物が、自らの生命の維持、増殖のエネルギーを得るエサとして、炭酸ガスや水へ酸化・分解し、無機物に戻す作用を行っている。この作用によって、汚水中の汚濁成分が分解除去される。土壌に生息する微生物群の多様性と絶対的個体数の多さから、その効果は非常に高く、安定したもののはずでる。

作業と施設の実際
以上の理論を頭で確認して、トレンチを掘り始めた。①トレンチの長さは8メートル、幅、深さは60センチ程度。赤土系粘土質の土壌で、チャートが多く含まれていて彫りにくい。②トレンチの底と壁に不透水性のマルチの幕を張るかどうか悩んだが張らずに済ます。張れば毛管現象による浄化が考えられるが、対象が風呂の排水であることからトレンチの底からの浸透を忌み嫌うこともない。
③トレンチの底に25センチ程度、砂を敷く。これは3月11日の大地震の折、液状化により噴出した水の多さから逆思考、排水をまずは砂に含ませることを狙ったもの。③そして砂の上に、穴あきの塩ビ管をわずかの勾配を付けて設置した。出口には砂をつめ、管に流れ込んだ排水はあちこちに開けられた穴から砂の上に排出されることになる。③砂と砂利で管を覆うようにする。砂に含まれた水分が砂利を伝って横方向、さらには毛管現象により上方向に移動することを狙ったもの。④主として赤土の土を埋め戻す。微生物の匂いがあまりしない、見た目に団粒構造とも言い難い。この土が若干不安の種であるがいずれ勢いづいて来るだろう。試作品の完成である。理屈からいえばトイレ排水であれ、生活雑排水であれ処理可能であるが、処理能力は低く、完璧を狙うのなら大きな用地が必要だろう。
[PR]

by okasusumu | 2011-07-28 12:55 | 山荘概要
2011年 07月 27日

水蓮

松本城の水連
f0067937_13443825.jpg


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 田舎暮らしへ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 伊那情報へ
にほんブログ村
[PR]

by okasusumu | 2011-07-27 13:45 | 山荘周辺の草花そして虫たち
2011年 07月 27日

山荘内の扁額

黒河内窯

f0067937_904981.jpgf0067937_911766.jpg






























休庵

f0067937_92030.jpg









わぐね文庫

f0067937_924843.jpg


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 田舎暮らしへ
にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 田舎暮らしへ
にほんブログ村
[PR]

by okasusumu | 2011-07-27 09:05 | 山荘概要
2011年 07月 23日

振り子反転のとき

 ミーイズムと地域社会
「自分は六十歳になったら農業をやめようと思っている」あるシンポジウムでの専業農家のパネリストの言葉です。
「農業はきつく年寄りには向かない。定年退職をしたら、農業でもやれば良いなどと、そんな甘いものではない」
おっしゃる通りです。
しかし、そうではあっても現状は食糧の自給率は四〇%と低く、耕作放棄地は広がる一方、林業は成り立たず、山も実際は放置されているのが実情です。
歪みがどこかに生じています。
 シンポジウムの主催者は、定年退職者の居場所探しに「緑と農」はどうかと具体的に提案をする形で分科会を設置しました。他の分科会は「新しい公共」そして 「地域創造」です。いずれも、経済成長とともに不明になった官でも民(私)でもない仕事を誰がやるのか、それぞれの分野で探る意図がありました。そして、 経済成長と共に成長し、間もなく退職をする人たちの地域デビューを狙いました。
 くだんのパネリストも同世代ですが「この世代は自己中心的で共同には馴染まないようだ」と体験談を交えて話します。世代間に考えや意識の違いがあるとは思っていませんでしたが、この話に、ふと頭をよぎったのが戦争でした。
彼らが生まれる直前まで、個人は自分の意見を主張しないで集団に追従していく社会で、戦争にまっしぐら。その反動は、明るい未来は個を尊重する個人主義に切り替えるところから始まるというものでした。
 彼らの成長とともに個人主義は膨らみました。集団よりも個を尊重する風潮は、経済的豊かさとともに「個」の自由が謳歌できる社会を作り上げました。
  引き換えに、郷土や国家と言った、本来、個を守っていた、さまざまな共同体を弱体化させてしまいました。衣食足りてその先にあったものは、家族や共同体の 崩壊と老齢化という現実です。
団塊ジュニアーが親世代に成長したこのごろでは、自分さえ良ければと言う人間が増えすぎています。自己中心主義というのか ミーイズムと言うのか公衆道徳が乱れ、社会が乱れました。教育やモラルが低下し、そして出生率を低下させ離婚率を上昇させました。まさに現代的問題です。 個人のみを尊重する生き方から地域社会を巻き込んだ共同体のあり方を考えなければ市民の不安は増大するばかりです。そろそろ振り子の反転のタイミングです。
大震災は、まんざらでもない日本人を浮かび上がらせました。なでしこジャパンの女子サッカーW杯優勝もいつもの日本人とは違う姿勢の女性を写し出しています。勝っても負けても泣きじゃくる甲子園の男子と違う毅然さがありました。振り子の反転、まだ遅くないようです。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 田舎暮らしへ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 伊那情報へ
にほんブログ村
[PR]

by okasusumu | 2011-07-23 09:07 | 里山逍遥
2011年 07月 22日

山荘作品展 陶

灰釉壷
f0067937_11581832.jpg






















水指
f0067937_11583090.jpg









f0067937_11584266.jpg



にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 伊那情報へ
にほんブログ村

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 田舎暮らしへ
にほんブログ村
[PR]

by okasusumu | 2011-07-22 12:00 | 山荘ギャラリー
2011年 07月 22日

山荘作品展 陶

朕は
f0067937_1151032.jpg




旅枕花生
f0067937_11523337.jpg



にほんブログ村 ライフスタイルブログ 田舎暮らしへ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 伊那情報へ
にほんブログ村
[PR]

by okasusumu | 2011-07-22 11:54 | 山荘ギャラリー
2011年 07月 21日

長谷村の沿革

 改修前の玄関におびただしいお札が張ってあった。それを見ると単なる長谷村でなく、美和村や高 遠在、黒河内村など入り組んでいる。調べてみるとすごい山々が村内にあった。
 ウイキペディアによれば次のようになっている。
長谷村(はせむら)
長野県上伊那郡の東部に位置した村。 2006年(平成18年)3月31日に伊那市、高遠町と合併し、新『伊那市』として発足。47年の歴史に幕を閉じた。なお、旧村域には市町村の合併の特例に関する法律(合併特例法)に基づく地域自治区が2016年3月30日を期限として設置された。

地理 中央構造線上に位置する、南アルプスと伊那山地の間の峡谷地域。

 山:入笠山、鋸岳、甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、三峰岳、塩見岳、戸倉山
 河川:三峰川
 湖沼:美和湖(美和ダム湖)
隣接していた自治体
 長野県 伊那市 駒ヶ根市 上伊那郡:高遠町 下伊那郡:大鹿村
     諏訪郡:富士見町
 山梨県南アルプス市 北杜市 静岡県岡市

 沿革
]1875年(明治8年)1月23日 市野瀬村、浦村、黒河内村、溝口村が合併して長谷村となる。
 山室村、荊口村、芝平村、山田村、小原村、勝間村、非持村が合併して河合村となる。

1881年(明治14年)7月27日 - 河合村が山室村、荊口村、芝平村、上山田村、下山田村、小原村、 勝間村、非持村に分立。(非持村以外はのちの高遠町へ)
1883年(明治16年)2月16日 - 長谷村が市野瀬村、浦村、杉島村、中尾村、黒河内村、溝口村に分 立。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行
 非持村、溝口村、黒河内村が合併して美和村が発足。
 市野瀬村、浦村、杉島村、中尾村が合併し伊那里村が発足。
1959年(昭和34年)4月1日 - 美和村と伊那里村が合併し長谷村として発足。
2006年(平成18年)3月31日 - 伊那市,高遠町と合併し、(新)伊那市となる。
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 田舎暮らしへ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 伊那情報へ
にほんブログ村
[PR]

by okasusumu | 2011-07-21 11:50 | 長谷の自然と歴史
2011年 07月 20日

分杭峠

日本一のパワースポットだそうだ
最近訪れる人が多く、シャトルバスに乗らなければ行けなくなったが、そのバス停は山荘からそう遠くない。パワースポットブームが訪れる前にも行っているが、随分雰囲気が違って来た。若い女性が多くなった。信ずる人に幸いあれ。
youtubeに動画がある。分杭峠で検索すればさわやかな画像を見ることができる。
http://www.youtube.com/watch?v=YFj4rDYQXLY&feature=player_embedded

分杭峠(ぶんぐいとうげ (ウイキペディア)
長野県伊那市と下伊那郡大鹿村の境界に位置する標高1,424mの峠。

静岡県浜松市の秋葉神社へ向かう街道として古くから利用された秋葉街道の峠の一つである。秋葉街道は西日本の地質を内帯と外帯に二分する中央構造線の断層谷を利用した街道であり、分杭峠は中央構造線の谷中分水界にあたる。


名称の由来
高遠藩が他領(南方は天領であった)との境界に杭を建て目印としたことに由来するといわれ、峠には「従是北高遠領」の石碑がある[1]。

ゼロ磁場 分杭峠は、一部の人々から「健康に良い『気』を発生させるゼロ磁場地域である」と言われ、マイナスイオンブームの際にマスコミに取り上げられた。中国の気功師・張志祥が来日した際、分杭峠に「気場」を発見したとされる。

日本最大、最長の巨大断層地帯である中央構造線の真上にあり、2つの地層がぶつかり合っている、という理由から「エネルギーが凝縮しているゼロ磁場であり、世界でも有数のパワースポットである」とされている[2]。2009年にテレビ・ラジオや雑誌で分杭峠のゼロ磁場が大きく取り上げられ、分杭峠に来る観光客が急増した[3]。

しかし、こうした考えは科学的に解明されたものではなく、疑似科学の一つと見なされている。中央構造線博物館の学芸員を勤める河本和朗は「地震を発生していないときの断層は,力学的には周囲の岩盤と同じ」と指摘し、「『断層で岩盤が押し合っている』という考えは地球物理的に誤りである」としている。
f0067937_21425485.jpg

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 伊那情報へ
にほんブログ村


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 秦野情報へ
にほんブログ村
[PR]

by okasusumu | 2011-07-20 21:43 | 長谷の自然と歴史
2011年 07月 20日

ゴマメの歯軋りに

全伐か間伐か
2月の終わりの勉強会で、宮代さんが里山は全伐より間伐のほうが良いのではないか、全伐を進めると自分たちの管理する山は丸坊主になってしまうといった趣旨のことを発言した。
 昨年、わずかな部分だが短冊状に全伐を行った。これは、陽樹であるクヌギ、コナラは光が燦燦と降り注ぐところでなければ育たない習性があることから、萌芽を促すためには光が入る全伐が良いという理由によるものだった。間伐程度では、萌芽してもすぐ枯れるという経験則と古くから伝承された地元の人の知恵に従ったものだった。
雑木林に効用を見出したのは弥生の頃だろうか。クヌギ、コナラは15周年
周期で順繰りに切られてきた。二千年近く連綿と続いてきた寒仕事だった。
しかし、よく考えてみればこの作業は雑木林が薪炭林として使われてきたときは必要欠くべからざるものだった。ところが、薪、炭がいらなくなった今、なぜ萌芽をさせるために切るのか、と質問されると正直答えられない。不用な雑木をなぜ生産するのか。宮代さんの意見は的を射ている。
宮代案の間伐法でいけば元気な木を、適当な間隔で残して置けば里山は維持できる。むしろ残された木は大木となり、見て触れて心地よく林の中は明るい。市民の望む雑木林はまさにこうした林だ。
そうした林の管理ならやりがいもある。ボランティアも多く集まるだろう。
 
神奈川県のサポートセンターのプレゼンテーションでの総括で堀田力会長は
「里山保全事業の将来が見えてこない」と言った。本来的保全事業は単なるボランタリー任せの活動でなく、事業の位置づけをはっきりさせ、誰が、どのように、どうするという問いに答えなければならないという会長意見だと理解した。里山に限らず山にも森林にもそして田畑にも公益的な機能がある。それも多面的だ。
 それを、「お前さんたちだけで頑張ってもそんなのはゴマメの歯軋りに過ぎない。歯軋りに終わらせたくなければそこに産業を興す位の決意が必要だ・・・」とするご意見だったのだろう。さすが、ロッキード事件の主席検察官だ。
おっしゃるとおり、全伐、間伐程度で悩んでいるのだから里山保全など「ゴマメの歯軋り」かもしれない。
 ブロックを区切って全伐すれば里山は、昔と同じように落葉広葉樹林の二次林として四季折々の美しさを醸し出してくれるに違いない。しかし、そうして更新、再生されても20年後はどうする、
40年後はどうする。全伐して更新を促す人はいるのだろうか。社会が不用とすることを実行する人たちがいるのだろうかと問われたとき返す言葉がない。
 だったら、間伐で一本一本を大径木にすれば良い。それでも2000年以上続いてきた落葉広葉樹林は守られる。
果たしてそうだろうか?
 クヌギ、コナラの寿命を120年としてこの寿命に達したときどうなるかが問題になる。クヌギやコナラは陽樹で木陰では育たない。だから、寿命に達したクヌギやコナラの大木の下に後継樹はない。老木が倒れるのを今や遅しと待ちかねるのは照葉樹ばかりだ。大木になっては落葉広葉樹の更新は難しい。植えれば良いとしても、しばらくは禿山に近い稚樹の山ということになってしまう。
となると、自然に任すしかない。「後は野となれ山となれ」で放置すれば、あとは照葉樹の世界となる。宮脇昭氏などこの説だ。お背戸の里山がおどろおどろした縄文の世界になるのはなんとも悲しい。可能な限り落葉広葉樹林を守りたい。日本人の美意識は季節折々に変わる自然の中で育まれてきた。
所有者が見限り、行政に金がない。里山保全事業に将来が見えないといわれても、それを承知でゴマメが歯軋りをするのであって、ゴマメがたくさん集まれば将来が見えてくるかもしれない.

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 伊那情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 秦野情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 田舎暮らしへ
にほんブログ村
[PR]

by okasusumu | 2011-07-20 15:17 | 里山逍遥