信州かくれ里 伊那山荘

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カテゴリ:寄り道( 4 )


2013年 05月 01日

寄り道  大鹿村

大鹿村
隣村で分杭峠の向う側。高齢化率も、過疎化率も高いが知名度は伊那市や長谷村より高い。歌舞伎が行われる中心部まで山荘から山中のくねくね道を約50分。
人口は1200人。東京から中央高速利用で3時間40分名古屋からは2時間少し。村内に鹿塩温泉、小渋温泉がある。大鹿村を有名にするのは中央構造線と大鹿歌舞伎。特に大鹿歌舞伎は国の無形民俗文化財。この歌舞伎を題材にNHKテレビドラマ「おシャシャンのシャン」映画「大鹿村騒動記」が製作されている。

大鹿歌舞伎
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大鹿村騒動記
長野県の山村に300年以上も伝わる「大鹿歌舞伎」をモチーフに、 『亡国のイージス』『顔』の阪本順治監督と原田芳雄がタッグを組んだ群像喜劇。伝統の村歌舞伎が受け継がれてきた山村で食堂を営む男のもとに、18年前に駆け落ちした妻と友人が現れたことから始まる騒動を軽妙なタッチで描く。共演には大楠道代、岸部一徳、松たか子、佐藤浩市、三國連太郎ら実力派がそろい、悲喜こもごもの人間模様を彩る。大鹿歌舞伎の舞台を再現したクライマックスは圧巻。
大鹿歌舞伎  春公演(5月3日 大碩神社舞台 正午~)

中央構造線博物館(南アルプスジオパーク)
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by okasusumu | 2013-05-01 19:17 | 寄り道
2011年 09月 20日

寄り道

駒ヶ根高原美術館     (長野県駒ヶ根市)

駒ヶ根高原美術館は、駒ヶ岳千畳敷カールへの玄関口としてにぎわう駒ヶ根高原の観光スポット光前寺の入り口のすぐ隣にある。1993年に開館。池田満寿夫、藤原新也、草間彌生を常設展示する展示室、池田満寿夫展示室、草間彌生展示室、藤原新也「メメント・モリ」展示室がある。ほかにも現在活躍中の作家とロダン、ゴヤなど国内外の巨匠の作品約2700点を収蔵し、順次展示している。年に5~6回、企画展も開催している。
宝剣岳をイメージして造られた建物や木曽駒ケ岳の眺望は素晴らしく、音楽会・結婚式のできる多目的ホールもある。
『であい・いのち・ふたたび』をキャッチフレーズに「生きている美術館」を目指しているとあるが展示品とそのコンセプトが結びつかない。収集しやすいものを集めた感は否めない。
池田満寿夫の展示は、数は多くはないが池田の才能の豊かさを改めて感じさせる内容である。小品は、東京のデパートで何度となく開催されている。いやらしく感じたほうが良いと思われる作品群なのに、デパートで見たときに感じたいやらしさがなかったのはなぜなのか。
陶芸作品は、今まで見たこともない池田満寿夫にしかできない表現であった。
陶芸家が見たら稚拙に感じると思われるような作品だが壷のような形をしていて絵画やオブジェのように観る者を想像の世界へ駆り立てる不思議な魔力を持った作品であった。
その中に「縄文焼き」という手法で焼いた陶芸作品があった。
「野焼き」と書いてあったので、たぶん窯ではなくて野で焼く方法だと思うが池田の感性をそのまま土で表現したようなプリミティブな作品であった。
草間彌生はやはり好きになれない作家であった。
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by okasusumu | 2011-09-20 11:12 | 寄り道
2011年 09月 19日

寄り道

光前寺(こうぜんじ)    (長野県駒ヶ根市)

 光前寺(こうぜんじ)は、天台宗の別格本山の寺院で長野県駒ヶ根市の樹齢数百年の巨木林の中にある。道隆式池泉庭園や築山式枯山水、築山式池泉庭園と三つの庭園があり、さらにはヒカリゴケが自生していることで知られている。
山号は宝積山(ほうしゃくさん)。院号は無動院。本尊は不動明王で秘仏。天台宗信濃五山(戸隠山の顕光寺・善光寺・更科八幡神宮寺・津金寺・光前寺)の一つで、1967年(昭和42年)5月10日、庭園が国の名勝に指定されている。
古記録は武田勝頼と織田信忠との戦いなど数々の羅災により失われているが貞観2年(860年)、円仁の弟子、本聖の開基と伝えられる。
境内全域が、「光前寺庭園」の名で名勝に指定されており、訪問時の2010年は開山1150年祭、7年に一度(寅・申)御本尊の不動明王の御開帳が開催されていた。夏の盛りであったが春の桜と、本坊客殿奥庭園の紅葉風景の見事さが十分予想できるすばらしい寺院である。
創建時は現在より200メートル木曽山脈寄りのところにあったらしい。天正慶長のころには武田氏、羽柴氏などの庇護を受け、また、佐久郡、諏訪郡にまでその寺領を広げた時期もあった。江戸時代には、徳川家光から朱印地60石を受けた。明治元年(1868)神仏分離令により塔頭末寺の多くが廃された。
•本堂 - 嘉永4年(1851年)に再建されたもの。
•三門 - 嘉永元年(1848年)に再建されたもの。十六羅漢を祀る。
•弁天堂 - 室町時代に建てられたもの。入母屋造。重要文化財。内部に弁財天と十五童子を安置する。
•経蔵 - 享和2年(1802年)に建てられたもの。唐破風造り。旅僧が奉納した大般若経が所蔵されている。
•三重塔 - 文化5年(1808年)に再建された、約17メートルの塔。長野県宝。
•仁王門 - 安置されている仁王像は大永8年(1528年)に作られたもので、駒ヶ根市の有形文化財に指定されている。
•賽の河原 - 三重塔南にある。三十体以上の地蔵尊が並ぶ。
また、霊犬早太郎説話でも近隣に知られている。
昔、光前寺に早太郎というたいへん強い山犬が飼われていた。その頃、遠江の見附村では、毎年田畑が荒らされ、その被害に困った村人は矢奈比売神社の祭りの夜に村の娘を人身御供として神様に差出し、これを鎮めていた。
 延慶元年(1308年)8月、この地を旅の僧侶が通りかかり、神様がそんな悪いことをするはずがないと祭りの夜にその正体を確かめると、現れた怪物が「信州の早太郎おるまいな、早太郎には知られるな」と言いながら娘をさらっていった。僧侶は、早速信濃へ行き、光前寺で早太郎を探し出し和尚から借受けた。そして次の祭りの日、早太郎は娘の身代わりとなって怪物(老ヒヒ)と戦い、見事退治した。
戦いで深い傷を負った早太郎は、光前寺までたどり着くと和尚にひと吠えして息をひきとったと言われている。 早太郎を借り受けた僧侶は、早太郎の供養のために大般若経を光前寺に奉納した。これは寺宝として経蔵に保管されている。また、本堂の横に早太郎の墓がまつられている。
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by okasusumu | 2011-09-19 11:09 | 寄り道
2011年 09月 18日

寄り道

久保田一竹美術館   (山梨県河口湖町)

 御坂峠の上り口、河口湖湖畔にあり近くに河口湖美術館や綾小路公磨の記念館や猿の大道芸劇場があるが寄り道したのはここだけ。
本館は、1000年を超す「ひば(ひのき科)」の大黒柱16本を使ったピラミッド型の建築物、とにかくこの建物が豪壮で、見る人を驚かす。頂点は13メートル、床面積200平方メートル。伝統的な職人の技と、現代的なログハウス工法の技との融合が成し得た複雑な木組みで、吹き抜け状の内部から、その木組みが全て見える構造になっている。
この建物に、久保田一竹のライフワーク「光響」の連作をはじめ、富士をテーマにしたいわゆる「一竹辻が花」の作品群及び代表作品が展示されている。
辻が花染めとは、室町時代に栄えた縫締紋の紋様染で、名称の由来は定かではない。始めは庶民の小袖から始まったと言われ、後に武家に愛され、高級品として一世を風靡する。しかし、江戸時代の初期、より自由に絵画的表現の出来る友禅の出現により、衰退を余儀なくされ、そしてその姿を消すことになる。
久保田一竹は21歳から2年間兵役に服し、敗戦後3年間極寒のシベリアに捕虜として抑留されている。暗く絶望的な虜因の苦しみを長く味わい、帰還後、残された半生を憧れつづけた「300年前に忽然と消えた」幻の辻が花染めに没頭し、生活の基盤であった手描友禅さえも捨て、辻が花研究を続け、還暦を迎えた年、創作「一竹辻が花」を発表している。
その作品が本美術館に展示されている。
すばらしい作品とは思うが、欲しいとは思わない作品である。むしろ室町時代の庶民の小袖がどのようなものであったのかに興味がゆく。時の流れにより、消えるべくして消えた染めのように思われる。
一竹美術館を構成する三大要素に「展示物」、「建造物」、そして「庭」がある。
庭は、琉球石灰岩、富士の溶岩、多種多様の植栽、渾々と湧き出る豊かな水とあいまり、独特な雰囲気を醸し出す。春には、桜、つつじ、新緑の木々そして多種多様の高山植物、秋には紅葉、冬には荘厳な富士と、四季折々の彩りを楽しめる。案内によれば、 紅葉の中で薪能が開催されているらしい。
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by okasusumu | 2011-09-18 09:48 | 寄り道