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2011年 08月 10日

保科正之

保科正之

高遠の町のあちこちに「保科正之で大河ドラマを」というビラが貼られている。NHKの歴史大河ドラマで扱ってもらい、高遠に賑わいを呼ぶ趣旨なのだろう。朝の連続テレビ小説「おひさま」効果で、安曇野、松本、奈良井宿に人が押し寄せている。テレビの力は大きい。
 ところでこの保科正之、会津で名君であったことは知られている。会津に転勤する前に高遠にいたらしい。というより、もともと高遠藩主に養育されていた。
 「養育されていた」のであるから実の父親がいる。実の父親は二代将軍徳川秀忠。江戸近郊に鷹狩りにでた秀忠が大工の娘、静に手を付けてできちゃった子である。秀忠の正妻は、今の大河ドラマの主人公、「江」であり、出産は城内ではできず、別のところ産み、武田信玄の次女、見性院に預けられた。当時の高遠藩主は武田氏の家臣、保科正光であった。
 秀忠は正妻「江」怖さに側妾のいない将軍で、親孝行でおとなしい妻を愛する優しい男のように思われているがこれはまったくの誤解で、性残忍酷薄な愚かな男であった。保科正之の兄弟と言えば、家光、忠長、継嗣問題で味噌を付けている。家光は子供の頃はむっつりとして陰性、ほとんど口を利かず、何を言われても白い目でじろりと見るだけで、およそ可愛げのない少年であった。弟の忠長の方は容姿端麗、目から鼻へ抜ける利発者で父母を大いに楽しませ、特に母親、江の寵愛は著しいものがあった。江のすべて言いなりの将軍のこと、将軍の地位を継ぐのは忠長に違いないと噂が流れた。
 この噂が少年を傷つけ当時12歳であった家光は自殺を図った。お福(春日局)が気が付き大事には到らなかった、馬鹿親には理由が分からない。お福が家康に直訴して家光が三代将軍を継ぐが、両親への不信感が消え去るわけがない。二代将軍とはその程度の将軍だった。
 実の父親は馬鹿親だが、保科正之は苦労して育った分だけ、人の心が理解できる政治家になっていた。兄の家光の死後その遺命により4代将軍家綱の補佐役として重きをなしている。知られているのが明暦の大火の後の庶民救済、防災対策、無駄の排除、経費節減など現在の課題とまるで変わらない難題に保科正之は立ち向かう。。
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by okasusumu | 2011-08-10 11:59 | 長谷の自然と歴史


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