2011年 06月 09日
鍛えて野性的な苗に 子供も大人も田植えを楽しみました。現場に居なかった人は「汚い」「きつい」の2Kの労働が「何で楽しいのか」と思われるかもしれません。やらなければ分からない楽しさはあるものです。 「ガラスが落ちていたら怪我をする」「石ころが合ったらどうする」と先ほどまで不安材料を言っては田に入るのを渋っていた子が、自分より小さな子が楽しそうに泥にまみれているのを見て気が変わったのか、今では笑顔で泥を跳ね上げ駆けずり回っています。 子供に言われて考えました。「なるほど田んぼには石ころも木の根もガラスの破片もない」と。これが長い間の人の営みの結果なのでしょう。農家は、田んぼの中 に石ころがあれば取りだし、草があれば抜き取りました。木の根はもっと前の人が抜いています。何代にも渡ってこれが繰り返えされてきました。石ころなどあるはずがありません。 田んぼは、人と自然が織り成し作り上げたもの、ぬるぬるした泥が物語をうみ、稲を育て文明を築いて来ました。弥生のころからとされる 作業を体験が出来たのですから,楽しくないはずがありません。 植えた苗は、昔ながらの方法でこの棚田で育てものです。今は,「機械で植える」「肥料で育てる」ことを前提にした苗作りをします。私たちは手植えですので機械植えの苗作りをする必要はありません。温室の中でなく、寒風吹きさらす田んぼの中に苗代を作りました。 開墾と並行して不耕起栽培を学んでいました。千葉の岩沢信夫さんが提唱する稲の本来持つ力を引き出す生物資源型の米づくりです。佐原の藤崎農場がその実践農場で、その農場に毎月通い指導を受けました。 岩沢さんは「苗半作と言われるが、この農法は苗八部作だ」と言います。機械植え以前の、米作りは、半分は苗作りと言われましたが、不耕起栽培では苗作りで八割がた決まると言うものです。その教えに従った苗は菖蒲の茎の様にたくましく育っていました。その苗を二本植えにしました。「厚田千石薄田千石」と言うそ うです。沢山植えても薄く植えても結果は同じと言うことのようです。薄いほうが光も風も行き渡る事でしょう。
by okasusumu
| 2011-06-09 10:51
| 里山逍遥
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アバウト
梅、桜。桃の木の花の饗宴が終わると待っていたように凍土だった大地が芽吹きだす。数年前、雑草の中に数本あった花だが、背の高い草を採ると、増えだした。今やルピナスの丘だ。下の田に水が入る頃は美しい。 by okasusumu カテゴリ
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