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成りすまし再び 徳三の四十九日の法要が先祖代々の墓のある海の見える古い寺でひそやかに行われた。恭子のほかは顕彦と彩香の二人だけ、 「母のときと比べると静かでさびしい」 恭子がまた涙ぐんだが、二人以外に案内はしていなかった。 世間もようやく静かになっていた。 災いの火種がなくなり、真相は彩香によって明らかにされたものの、事件としてはまたも闇の中で終わりそうである。 忌々しいが、世間は不幸な事件に巻き込まれた旧家としてしか見ていなかった。 「拉致や成りすまし事件の概要は明らかにされたけれど結局、吉村か富永純子を捕らえなければ、事件の真相は何もわからないのね。死んだ人が浮かばれないわ」 恭子がぼやいた。 「今頃、富永純子は北に渡って安全地帯で羽を伸ばしているかもしれないわ。姉の偽者がのうのうと暮らしているなんて変な感じ」 彩香は忙しく、追われる日々をすごして来た。久しぶりにのんびりとしている。 「彼女は恐ろしい人だけど、女性としてはたいしたものね。あの手の人は日本にはいないわ。この国では、まだまだ女性は差別されているもの」 「でも今、この日本で元気なのは女性ばかり。男は保身に汲々としているわ」 「アメリカで逮捕されロシヤに帰った美人スパイが銀行の顧問になり、政党幹部になり、政界進出を狙っているとニュースでやっていた」 二人の会話を静かに聞いていた顕彦がようやく口を開いた。眼下に広がる湘南の海が輝いている。 「帰った国が国だからその線はないだろうが、純子なら出来るな。何しろ決断即実行の能力がある。吉村が暴力団を使ったと知ったとき、直ぐ次を予測、手を打っている。だから警察は後手に回って何もわからない。帰国したらしいがまたやって来るさ。暗闇国の使者として」 「暗闇国の使者か。でも人の心が分かるから予測が出来るのでしょ? そんなすごい人がなぜ、人を困らせるようなことを平気でするのしら。日本に長くいるのだから善悪わかりそうなものだけど」 恭子が顕彦に尋ねた。 「向こうは向こうで、なぜ正義の邪魔をするのかと思っているさ」 「……」 「それとも忠臣蔵かな」 「もっと、わかりやすく言ってよ」 彩香がすばやくメモをした。 「赤穂の四十七士は、駄目なお殿様でも、家来は家来として役割を果たした。君、君たらずとも臣、臣足らざるべからず」 「何、それ?ますますわからなくなった」 「君主に徳がなくても、臣は臣たる道を守って尽くさなければならないとする封建時代の武士の心構えだよ」 「封建時代? かわいそうね。でも何となくわかる。殿が隠居して若に代わろうとしているんだもの」 「継承する遺産は核とミサイル?」 「吉村は、彼の行為が、これまで積み上げて来たすべてをぶち壊したから、仕置きされたに違いない。片岡と一緒に日本海の藻屑になったかな」 「わかりやすい人だった。驕りが破滅を導いた典型ね。綾さんは?」 「綾さんはよくわからない。彼女がたぶん会長殺しの実行犯だと思う。失踪していたご主人が、同業の人で、純子から、綾に対する吉村の裏切り行為を聞いて、火の粉がかからないように家族ごと連れ去った」 「でも、なぜ父を殺す必要があったの?」 「うーん、それをずっと考えていた。もしかしたら、彼女は、会長に騙されたとの思いがあったのかもしれない」 「騙された? 父が綾さんを騙したの?」 「沢井弁護士に聞いたけれど、徳三さんの財産は少ないらしいじゃない?」 「そうなの、父は母の従弟で、同じ姓だからよく誤解されるんだけれど、父は養子縁組の手続きをしていない、いわゆる婿養子なの。これは本人もずっと知らなかったみたい。沢井先生の話では祖母がまだ生存しているから斉藤家の資産は、祖父の分は祖母と母に、そして祖母の分も父には流れないで母に、母が亡くなっているから私に来るらしいの。だから父の資産はあまり多くないのよ」 「お祖母さんがいたのは僕も知らなかった」 「認知症を患って南が丘の有料老人ホームに行っているわ。それが彼女にとっては一番幸せなの」 「綾さんは結婚目的で会長に近づいた。もちろん愛ではなく、財産目当てで、会社の乗っ取りも視野に入れていた。ところが斉藤家の財産は婿の徳三さんには流れないことがわかった。綾さんは、愛されていると信じていたのに実は騙されていたと悔しがり、怒りそして殺意を抑えることが出来なくなった。恐ろしく怖い女だ」 「父は騙すつもりなんかなかったわ。勝手に父の懐具合を勘定して、それが間違っていたからって父の責任ではないわよ。騙しただなんてかわいそう」 「金の切れ目が縁の切れ目どころか命まで奪うなんて、酷いわ。やっぱり恐ろしい人」 「でも父は、母を忘れて鼻の下を伸ばした報いを受けてしまったのよ。秘書の美香さんともデレデレしていたわ。あんな節操のない人だったかな、まったく。それにしても綾さんは恐ろしい人には見えなかったわ。私も騙された」 笑いながら語る恭子の瞼からまた大粒の涙がこぼれ落ちた。 週刊誌やテレビのワイドショウでの騒ぎが一段落した三ヵ月後、羽田の新国際線に、北京からJAL便で到着し入国審査を待つ富永純子の姿があった。髪型を変え、服装もシックに纏め上げられている。順が来て、艶然としてパスポートを純子は差し出した。チラッと顔を見た審査官は無造作にスタンプ印を押し入国を許可した。 荷物を受け取り、到着ロビーに出た純子を三人の男が出迎えた。 車の中で、純子は、 「今日から佐々木清美です。よろしくね」 (完) 解剖の結果、会長の死因はシアン系のものの服毒とわかったがそれ以外は何もわからなかった。恭子は何度か二人の刑事の訪問を受け、丁重な物言いで吉村の事を聞かれた。自分たちの失敗を自覚してから刑事の態度は変わっていた。恥ずかしい話、何も知らないと答えるしかなかった。
事件から一週間経った月曜日、「週刊ウィークリー」が一週間前に大磯のホテルで起こった暴力団員の恐喝事件を導入部にしたスクープ、「列島にしのび寄る暗黒帝国の罠」を掲載した。生々しいテレビニュースが記憶に新しく、その裏に潜んだ国家ぐるみの犯罪が彩香の手で明らかにされていた。 記事は、本物の姉を探す彩香の体験を原点にして書かれており、取材を通じて、拉致して戸籍を奪い、その戸籍を利用し、日本人に成りすました工作員が大手を振って入国する実態を明らかにしていた。 このスクープをテレビのワイドショーが扱い、翌、火曜日には全局のワイドショーが取り上げ、そして新聞が追い、国会でも取り上げられた。 ワイドショーには暴力団員による恐喝事件時の吉村の会見場面の映像が使われた。拉致され行方不明になった本人の写真と戸籍を奪い吉村氏に成りすまして入国した偽者の吉村が対比され、いつもの推測話とは一味違うワイドショウは見る人を納得させ、そして戦慄させた。 「週刊ウィークリー」はよく売れて、毎号実態をあばく連載体制を組み「黒い罠の実態」「流出する核関連技術」「ヘッドハンティング、女と金」「暗黒帝国の聖戦」などすべてがスクープで、迫力があり他の追随をまったく寄せ付けなかった。 発信者に情報は集まって来る。本物の吉村に関する写真やエピソードが新潟から送られてきた。週刊誌に掲載された吉村の顔に郷土の人は驚き、ワイドショーで驚きを語る地元に人もいた。それがまた記事になった。轢き殺され海に捨てられた両親の事件の捜査も再び始まった。 (続く) 朝鮮語の会話 二人の刑事は事態が急を告げていることをまだ理解できなかった。昼食をとり、斉藤工業本社の付いたのは午後一時少し前、秘書の大黒美香は、社長は刑事さんとの電話の直後に出かけ、行き先は聞いていないと言った。何か焦っていたと秘書は付け加えた。 電話をかけた時点で社長の足止めをしなかったのが失敗だった。秘書に社長の持つ携帯に電話を入れてもらったが、相手は電源を切っているか、電波の届かないところにいるとメッセージが返ってきた。 秘書の大黒に社長が戻ったら連絡が欲しいと伝えて大磯に帰ったが、「大丈夫か」と言った顕彦の言葉が耳に残っていた。もしかしたら敵に先を越されたかもしれない。片岡だけではなかった。社長からも連絡がないまま一日が暮れた。 翌日、大黒に電話を入れたが、社長と連絡が取れないで困っていると言う。社長も消えた。本社で社長に面談したと言う県警捜査員も偽者であることが判明した。恐喝事件のあった日の社長の事情聴取も、社長が巧に知らぬ存ぜぬを押し通し、結局、何の手がかりも得ていなかった。顕彦の言うとおりの展開になってしまった。 中央高速道路に入ったまでは覚えていた。助手席に座っていた男にコーヒーは如何と声をかけられ、温かいコーヒーを手渡された。スーツに身を固めた礼儀正しい男だった。 本社にこんな男がいただろうかと考えているうちに眠くなった。 目が覚めると体が身動きが取れない。手足は縛られ、口には猿轡がかまされている。車の床に転がされて、上からシートが掛けられているようだ。手足を動かすと、朝鮮語で語り合う声と、笑いが聞こえてきた。ようやくお目覚めのようだとでも言っているのだろう。どうにか見える腕時計の針は午後三時を少し回ったところだった。車はかなりのスピードで走っており、すでに東京をはるか遠く離れているに違いない。 今日こそ自首しようと家の玄関に立った。それがなぜ社長に知られたのか、外に出ると、この男たちが迎えに来ていた。自分の犯罪は社長命令を受けて実行したもの、自分が自首すれば当然、社長に類が及ぶことになる。だとすれば社長が自分を消しにかかる、頭の中の思考回路が回転し続けた。 片岡は、根からの悪人ではなく、社長に出世を餌に踊らされ、犯罪に加担したことを悔い悩んでいた。財団の使途不明金は、片岡が斉藤工業の吉村社長にそそのかされて、斉藤高志が会社の金を横領したと告発した。片岡が借金の埋め合わせのために着服したものので、高志は関係がない。高志は優秀な技術者で北がしきりに誘い、一旦は出国を承諾し、詳しい説明を受けたが、その後に翻意している。 外部に漏れてはならないことまで聞いてしまった高志は、北の工作員に狙われることになったらしい。 社長と富永純子が横領、行方不明、心中という物語を語るのを小耳に挟んでいた。自分が加担した罠が物語のスタートで、実際にその物語のように展開し、自分が知らない女との心中で終わった。 恐ろしかったが、一度踏み外すと引き返すことが出来なく、指示されるまま、会長が眠るベッド横の水差しに、毒と思われる粉末を入れた。 「社長はどこで待っているのですか」 声にはならなかったが、奇声になった。 紺のスーツにレンガ色のネクタイを締めた一流会社のサラリーマン風の男の態度は、自宅に迎えに来たときとは、まるで変わっていた。 「こいつアホだな。まだ状況がわかっていないみたいだ」 助手席の男が運転手に何事か指示した。朝鮮語だった。すると車が路肩に止められ、男が後部ドアを開け、座席の下のシーツを取った。 片岡が最後に目にしたのは、男の鬼の形相だった。男はしたたかに片岡の鳩尾を打ち、抵抗がなくなると片岡の口をこじ開け、ウィスキーを注ぎ、そして鼻をつまんだ。苦しくなった片岡は、空気とともに、ごくんと音を立て口の中の酒を飲み干しぜいぜいと咳をした。二度ほど同じことを繰り返し、また座席の下に横倒しにしてシートをかぶせた。人家は遠く、見る人はなかった。男はトランクを開け、もう一人拉致した男の昏睡状態を確認して助手席に戻ると車は静かに走り出した。波の音がし、潮の香りがした。 (続く) 十七
財団専務が行方不明 はっきりしている事件は暴力団員の恐喝事件だけ、徳三の死亡はまだ何もわかっていなかった。現時点では自殺なのか、事故なのかいずれにせよ、事件性は薄いと二人の刑事は考えていた。 翌朝、二人が訪れた財団の事務所は、斉藤前理事長の死亡が伝えられたためか沈鬱な空気に包まれていた。死亡原因がいまだ不明なためか関係者の問い合わせも多くはない。 片岡専務理事は十時だというのにまだ顔を見せていなかった。 「いつもなら、九時三十分には出勤しておりますが、変ですね。連絡もありません」 二人の刑事に総務課長の肩書きのある男が対応した。人数の少ない事務所のこと、出勤してくればすぐわかる。三十分待っても現れなかった。 応接椅子に二人の刑事が座り込こんでいては仕事がやりにくい。 「専務宅に連絡してみましょうか」 課長が気を利かして南主任に確認して、自席に戻り電話を入れた。 頭を下げながらの挨拶に続き、「専務は? 」と尋ねる課長の姿を二人の刑事はのんびり見ていた。ここの専務理事の話に手がかりがあるとは思えない。 ……まったく、思い込みの激しい素人がいるとやりにくい。 しかし、「ああそうですか。わかりました」と応え、電話を切った課長が首を傾げ怪訝な顔をしている。 「何か? 」 田川が尋ねた。 「それが、奥さんは、理事長の使いが、八時頃来て、専務はその人の車で出かけたと言っています。理事長と言われましたが、こちらでは把握していませんので、吉村社長の使いかもしれません。理事長は社長が兼務していますので」 総務課長は、斉藤工業本社の社長室に確認するように部下に指示した。 本社社長室で電話をとったのは大黒美香だった。 「社長は、会長が亡くなられてお忙しいのですが出社しております。今は、神奈川県警の方と、会議室で打ち合わせ中ですので、使いを出して専務理事をお呼びしているとは思えませんが確認いたしますか?」 確認するかと問われた部下が、振り返って刑事に伺いを立てた。 「そんなばかな。県警本部が動いているとは聞いていないぞ」 南主任が立ち上がり、自分が出ると告げ、受話器を受け取った。 南が名乗ると、美香は少し待ってくれと言い、神奈川県警の捜査員を呼びに会議室に入った。 待たされた。 そして、電話に出たのは吉村社長だった。社長は県警の方は少し前に帰ったと言い、自分は片岡専務を呼び出したりしていないと応えた。社長の荒い息遣いが電話越しに伝わって来た。 二人は狐につままれた思いで、財団を出て、御茶ノ水の斉藤工業の本社に向かった。 直接会って事情を聞く必要を感じたからだ。署に電話を入れ、捜査員を斉藤工業本社に派遣していないことを確認していた。 「別の事件で県警本部が動いているかもしれないな」 「そうかな、変だ。でも、行けばわかる」 (つづく) 工作機関の陰 「あの時も警察は何もしなかった。人が拉致されたのに、おざなりな事情聴取をしておしまい」 恭子は、二人に嫌味を言った。二人の刑事は、ようやく大磯インタ付近の駐車場での拉致事件を思い出したらしく顕彦の顔をまじまじと見た。 「相続財産を巡る事件かね。警察は民事不介入が原則だよ」 恭子の口の利き方に南は憤りを覚えたのかぞんざいに答えた。 「あれ? じゃあ、相続財産を狙って殺人を犯した事件に警察は介入しないの? 」 「バカな。お宅らの相談は殺人ではなかった」 「相談? いつ相談したの? 女性が拉致された事件じゃぁないの。相続も関係ないわ。誘拐事件に警察は介入しないの? 初めて聞いた。本部長をここに呼びなさいよ。警察要らないじゃない。一般市民が動かなければ、あの拉致事件は迷宮入りだったの? 信じられない」 「‥‥」 「誰かが死ななきゃ警察は動かないって本当の話なのね。あれが解決していれば父は死なずに済んだのに」 恭子は涙を流しながら執拗に南を非難した。今まで斉藤家に起こった数々の忌々しい事件に、無関心でいた警察に対する怒りがこみ上げて来ている。 叔母と母の不審死そして高志も心中事件で処理されてしまった。 顕彦がとりなすように、二人の刑事に説明した。 「あの時は、徳三氏の財産に絡んで、わかっているだけで四人が不審な死にかたをしていると説明しました。それ以外に本物の吉村の両親と叔父の三人それに綾さんの前の家政婦さん、合わせて九人、そして徳三氏、今回も同じ流れだと思われます。大変な数の命が奪われています。あなた方はスパイ映画のようなプロの仕事を否定しますが、おそらく今回も痕跡はないでしょう。敵は拉致のプロです。組織でやっているから実行者がつかめない。完全犯罪というのでなく、実行犯がいなくなってしまうから捕えようがない。だから、みんな不審死」 二人の刑事はジェームス・ボンドの活躍を頭に描いたのか、「まさか」と口走り、田川が口を押さえ失礼と謝った。 顕彦は二人に蔑みの笑いを見せながら続けた。 「おそらく綾さんの行方には工作機関の意思が働いています。指示を無視して、社長が暴力団を使ったことを知った段階で工作機関は早々に形を作り上げる今回の暴挙に出たのではないですか。予想して事前に手を打っているから痕跡を探すのは難しい」 「なぜ綾さんは急に消えたの?」 恭子はどうしても理解できなかった。 「逮捕された暴力団員が、社長に頼まれたと自白し、その結果、吉村社長が警察で事情聴取されたら、綾さんを隠した工作機関が明るみに出てしまう。社長がしゃべればの話ですが、仲間割れをしたとなると社長が話す可能性もある」 「工作機関?」 警部補が顕彦に訊ねた。 「前にも話して信用して貰えなかったけれど、斉藤工業の遠心分離機の技術に北が興味を示しています。社長は北の関係者だとする仮説を立てると、納得できることが多くなります。平和に呆けている場合ではありません」 「そりゃそうだ」 「だから綾さんを追うのは難しい。社長も素早く警察が動かない限り拉致されてしまう。鍵はもう一つ」 「何ですか、それは」 恭子にやり込められて、おとなしくしていた南が口を開いた。恭子は、別の部屋に移り、駆けつけた彩香と葬儀屋を交えて打ち合わせを始めていた。 「それは社長が消し忘れた斉藤財団の片岡務理事、彼だけでしょう。これも早くしなければ、相手も気が付いて消されてしまう」 片岡専務は入院中の会長に、社長から渡された薬を水差しに入れている。二度目を失敗して、それ以来、社長に無視されていた。高志を罠にはめ、横領したと警察に告発し、殺しに発展する事件の片棒を担ぎ、会長に投薬するなど社長の悪の部分に深くかかわっていると顕彦は二人に説明した。 いずれも殺人事件として扱われておらず、推測に過ぎない。二人の刑事は、まさかと思いつつ、小うるさい市民の情報を無視して、今日の様に食って掛かられてはかなわない。期待はしないが明日一番で、東京の溜池まで聞き込みに出かけると顕彦に告げた。 「明日で良いんですか?」 顕彦は心配して聞き返したが、譲歩したと思っている南は 「今はお宅らの事情聴取が優先だ」 と露骨にいやな顔をした。 (続く) 徳三の死
坊主頭の口は堅い。しかし、スエット姿の大男の方は、男気をくすぐるような巧みな問いかけに、いい気になってよく喋った。この男は、依頼主の秘密を守ることが、自分たちの次の仕事に繋がることなど考えもしない。 「集金に行って、少しトラブっただけ」 「集金?」 「あいつに頼まれたことがあって」 「頼まれた?」 「ある女を、やってくれと」 「ある女?」 警察はすぐに裏づけに走った。ところが、被害女性の家は空き家になっており、入居者募集の不動産屋の案内が貼られていた。そのアパートを管理する不動産屋に聞くと、今朝ほど訪ねて来た女が、同じようなことを聞いて行った、と恭子の行動を教えた。 「何で被害者が消えなきゃならないんだ」 その足で吉村恭子を訪ねたのは以前、彩香が拉致されたときに、顕彦に会った大磯署の田川警部補と南主任だった。しかし、斉藤家も呼べど答える声はなかった。 「ここも、行方をくらませたか。何なんだ、たかが恐喝事件なのに」 田川も南も、彩香の事件での事情聴取が神田の画廊だったためか、その折に斉藤家の事情を聞いていることを、すっかり忘れていた。 二人は訪れた家が、今日ホテルで起きた恐喝事件の会社オーナーの自宅であることも知らない。テレビで放映されたが、たいした事件ではないとの思いが強く、成果主義に毒された二人は、手柄にはならないと最初から舐めてかかっている。 呼び鈴を鳴らしながら、玄関前に立つ二人に、自転車で通りすがった近所の主婦が、救急車でご主人が運ばれ、恭子が付き添ったと教えた。無線で署に次の行き先である病院名を告げると、ちょうど、その病院から連絡があったと新しい情報を伝えられ、二人は俄かに色めきたった。 顕彦が駆けつけたときには徳三はすでに死亡していた。死因は青酸系毒物の服毒と思われると医者は言った。 恭子が泣き崩れており、顕彦の注意を聞かなかった自分が殺したようなものとしきりに自分を責めた。顕彦も、もっとしっかりした防御策を執るべきであったと自分を責め悔しがった。 しかし、会長が殺される理由がわからなかった。ここに至っては無意味な殺人である。 二人の刑事が尋ねてきた。 廊下に出た顕彦が二人の刑事の問いに答えた。 顕彦は、朝十時からの恭子の行動を、時を追いながら説明した。刑事二人も、たまたま恭子と同じコース、綾の家、不動産屋、斉藤家、病院を辿って来たので、服毒したと思われる時間帯に綾が不動産屋にいたことを理解した。 それでも一番身近にいた人間、第一発見者に対する疑いを消すわけにはいかなかった。二人は電話で現場の検証を手配し、恭子からは後で聞くことにしてとりあえず顕彦を立会人にして服毒死現場に赴いた。 徳三の居間には何の手がかりもなかった。鑑識係が到着して、あらゆる物が写真に収められ、埃や沁みまで採取されたが、部外者が入り込んだ形跡どころか徳三の部屋から徳三の指紋すら採取できなかった。 「誰も入り込んでないとすると、自ら命を絶ったということかな」 田川警部補が南に話しかけた。 「でも死ぬ理由が現時点ではわからないないし、青酸を手に入れる手段も、そして機会も、病いがちな仏さんにはなかったのですから、簡単には結論付けられませんよ」 南主任はさすがに安易な結論付けを避けた。 「まあ、そうだな」 「服毒に使ったと思われる、茶碗、コップがきれいに片付けられているのはおかしくないですか?」 顕彦が横から口を出した。 「だから、片付けた誰かが犯人と言えるだろうな。その意味で仏さん、そして次に恭子が怪しい」 「バカな。父親が倒れているのを見て、一番にすることは救急車を呼ぶこと。後片付けではないでしょう」 「救急車が来るまでの間だよ」 「たとえ水で洗って布巾で汚れや水分をふき取ったとしても、最後には手に持って茶箪笥に入れるのだから、普通なら誰かの指紋が残るはず、恭子さんが使っているキッチンのほうは多分、誰かしらの指紋があるはずですよ」 横で聞いていた鑑識係が、薄笑いを浮かべながら、「その通りでした」と顕彦の意見に同調した。 「それが、この部屋の物には、何も痕跡がないというのは、発覚を恐れて消したのでしょう。自殺ではない証拠です」 「そんなことはない。あらかじめカプセルに入れておいた青酸系の毒を飲んだ。そして立つ鳥跡を濁さず、周囲をきれいにした。覚悟の自殺だ」 「部屋中がきれいで徳三氏の指紋すらない。湯飲みは、洗って拭き取っても茶箪笥に入れるとき手袋を使わない限り本人の痕跡は残るよ。手袋はあったの?」 「だからカプセルを使ったと言った。カプセルが溶けるまでの間に指紋を拭き取ったコップか湯のみをキッチンに運び、片付けた」 「まったく、何でそんなことをして死ななきゃならないんだよ。刑事さん、まじめに考えてよ。スーツ姿で会長がそんな洗物をするわけがない。会長はプラトニックな恋をしていたんだから。死ぬ理由なんかないよ」 刑事のいい加減さに段々腹が立ってきた。それでなくとも顕彦は自分の不手際で会長を殺させてしまった思いがある。 「じゃあ失恋をして、生きる希望をなくしたんだろう。私にしてみれば、殺人だと決め込むあんたの気持ちがわからないね。何しろ、仏さん以外に誰かが入った跡がない。争った後もない」 「じゃあ、毒はどこで手に入れたの?」 「金属を扱っている工場を持っているのだから、メッキ部門もあるんじゃないの? 調べてみるけど」 「例えそれが工場に在ったとしても、病人がどうして運び出せるの?」 顕彦の口調が詰問調になっていることに気分を害したのか 「黙って聞いていたけれど、あんた何? 素人が口出さないで欲しいね。大体あんたは出かけた時間を十時頃だと言っているが、なにを根拠にして十時ごろなのかね? 」 「そんなのNTTで調べればすぐわかること、私のところに電話があった後に出かけたと思っています。電話があったのが十時頃だった。私の忠告を無視して出かけたのだから、何か急用ができた」 顕彦はあきれて口も利けないと言う態度を示した。そこへ警部補が確認させていたNTTの通話記録を持った鑑識係が戻って来た。それによれば十時ちょうどに東京に発信した後に公衆電話からの電話を受信しており、三十五分後に一一九番通報をした後は使われていなかった。 「やっぱりそうか、呼び出して、出かけるのを確認して進入、ことを済ませて、返ってくる前に退散。恭子さんの行動を見張っていた仲間がいたから、作業は落ちついて出来た」 二人の刑事は黙って顕彦の推理を聞いていたが頷くことはなかった。 病院側の説明を受けていた恭子が帰宅して、やつれた顔を出した。司法解剖をするらしく、葬儀屋との打ち合わせもままならない。顕彦が二人の刑事を、彩香が拉致されたときにお世話になったと恭子に紹介した。 (続く) 築炉の高井名人が、蕎麦庵主人に変身、黒河内窯完成記念蕎麦の会を催す。食数が限定されるため、招待客は高井師匠と今井棟梁によって厳選(笑)されることになる。
そのお品書きが届いた。ここまで読んでふざけていると思われた方も、このレシピには驚くに違いない。お遊びでないことがよくわかる。窯元としては、レシピに合わせたしゃれた食器づくりをしなければならない。それが完成記念の引き出物になるのだから失敗は許されないが、まだ使ったことがない窯のこと、正直、どうしよう。まあ、なんとかなるさ。 伊那山荘 黒河内窯 完成記念 蕎麦の会 お品書き(案) 蕎麦かりんとう 塩味 これは突き出しみたいなものです。 蕎麦の耳を油で揚げ塩をまぶしたもので、ビール党には欠かせない おつまみとなります。 お酒 (蕎麦は日本酒 ! これを黒河内窯で焼き出したばかりの酒器で乾杯 ! ビール党はビールでも良いのだが・・・・ 蕎麦は日本酒だ ! 銘柄は庵主が決めるに決まっているのさ ! ) 蕎麦豆腐 吉野葛による蕎麦豆腐 自前で漬けた桜漬け 若しくは山葵でどうぞ 蕎麦掻き ほんわりとした蕎麦掻きを、バーナーで軽く焦がし、おろし生姜でいただきます。 今回は串焼きにした蕎麦団子を味噌胡麻ダレを付けて味わって戴きましょうか。 蕎麦寿司 稲荷と巻物 まあまあ見てのお楽しみ えっ? 何これ? と言うこと間違いなしかも? 蕎麦サラダ 各種野菜に蕎麦の実添え これで世の女性陣を黙らせて来た ? 極秘メニューです。 味付けは フルースロー? 蕎麦つゆ? どうぞご自由に! ざる蕎麦 期待を持っていただく為にも、渾身の力作笊蕎麦と言うことにしておきましょう! (茸蕎麦) 満腹にならない人の為に、汁ものを隠しておきたいと思います。 デザート アイスクリーム (カリカリ食感の蕎麦の実添え)
駒ヶ根高原美術館 (長野県駒ヶ根市)
駒ヶ根高原美術館は、駒ヶ岳千畳敷カールへの玄関口としてにぎわう駒ヶ根高原の観光スポット光前寺の入り口のすぐ隣にある。1993年に開館。池田満寿夫、藤原新也、草間彌生を常設展示する展示室、池田満寿夫展示室、草間彌生展示室、藤原新也「メメント・モリ」展示室がある。ほかにも現在活躍中の作家とロダン、ゴヤなど国内外の巨匠の作品約2700点を収蔵し、順次展示している。年に5~6回、企画展も開催している。 宝剣岳をイメージして造られた建物や木曽駒ケ岳の眺望は素晴らしく、音楽会・結婚式のできる多目的ホールもある。 『であい・いのち・ふたたび』をキャッチフレーズに「生きている美術館」を目指しているとあるが展示品とそのコンセプトが結びつかない。収集しやすいものを集めた感は否めない。 池田満寿夫の展示は、数は多くはないが池田の才能の豊かさを改めて感じさせる内容である。小品は、東京のデパートで何度となく開催されている。いやらしく感じたほうが良いと思われる作品群なのに、デパートで見たときに感じたいやらしさがなかったのはなぜなのか。 陶芸作品は、今まで見たこともない池田満寿夫にしかできない表現であった。 陶芸家が見たら稚拙に感じると思われるような作品だが壷のような形をしていて絵画やオブジェのように観る者を想像の世界へ駆り立てる不思議な魔力を持った作品であった。 その中に「縄文焼き」という手法で焼いた陶芸作品があった。 「野焼き」と書いてあったので、たぶん窯ではなくて野で焼く方法だと思うが池田の感性をそのまま土で表現したようなプリミティブな作品であった。 草間彌生はやはり好きになれない作家であった。
大捕り物
大磯警察署は国道一号線沿いにあり、ホテルから一キロも離れていない。素早くパトカー四台がサイレンを鳴らし駆けつけ、警察官が会議場になだれ込んだ。 このサイレンに、夏の人気リゾートに取材に来ていたテレビニュースがスクープと飛びつき、真昼の捕り物劇を急遽、実況中継する大騒ぎになった。 あまりにすばやい展開に、暴力団員二人は戸惑い、短刀を光らせながらも、カメラマンや野次馬の期待を裏切って、抵抗することなく捕らえられた。 包囲、逮捕、連行の一部始終をテレビカメラは捉え、臨場感と緊張感をそのままを茶の間に流し続けた。 実況中継はここまでだったが、連行するパトカーが見えなくなると取材陣は、今度は脅された社長をインタビューするため取締役会の会議場に駆けつけた。 「何のことで恐喝されたか、さっぱりわからないが、わが社は反社会勢力には断じて屈しない」 テレビカメラの前で吉村社長は、取材陣を前に、困惑した表情で見得を切り、社会正義を強調した。 その場は何とか、治まるかにみえた。 しかし、女性記者が、質問いいですかと手をあげた。彩香だった。 「社長はどこのご出身でいらっしゃいますか」 的外れの質問に一瞬ざわめいたが、テレビカメラが回っていた。実況と思われており、誰もが醜態をさらしたくない。成り行きにまかせた。それに、彩香は、系列のテレビ局取材陣に、ある程度の情報を流し、協力を依頼してあった。彼らは意気込んでいた。 「この騒ぎとどう関係があるかしりませんが、私は新潟です」 社長は落ち着いていた。 「ありがとうございます。実は昨日、新潟のある方からこの写真を送っていただきました。この写真の人をご存じですか」 上越市の川崎部長に送ってもらった吉村の若い頃の写真がA4サイズ程度の大きさに引き伸ばされ用意されていた。 社長はうんざりとした顔で、忙しいからもう良いかと言いながら、ぶっきらぼうに 「知らない」 と答えた。 彩香はさらに追求した。 「知らないですか。この人は新潟の吉村亮さんです」 会場がどよめいた。社長と同姓同名である。 「ご両親は何者かに殺害され、海に捨てられています。写真のこの亮さんは、ドイツに留学して行方を絶ちました。しばらく空白期間を置き再登場したのが社長、あなたでした。違いますか? その間の経緯をお聞かせ願えませんか。 どうして自分の若い頃の顔を知らないと答えたのですか?」 彩香の追求は、顕彦との打ち合わせどおりだった。 突然、社長は立ち上がり、会場内を睥睨するように見回した。斉藤工業の役員と報道陣だけで警察はいない。 社長は会議場を飛び出した。廊下を走り、エレベーターに飛び乗った。誰も止めることが出来なかった。テレビ中継は連行までで終わっている。余計なことを喋らなければ乗り切れると吉村は計算した。突然の中座は妻の父親が急死したからと言えば良い。 しかし、これは罠だ。誰かが仕組んでいる。吉村は顕彦を意識した。 (続く)
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